広告枠

自衛官の怖い話

硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。
ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、
あるところでばったり!と倒れたそうです。

意識が回復してから、何があったのか尋ねると、「誰かに呼ばれた気がする……。」と。
その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。
その霊感青年以外にも「呼ばれた」隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。

外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。
私たちが行った時、人数の都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。

怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、
詳しい作法などは知りませんでしたが、きっと喉が乾いただろうな、
甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、
本土から ミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、
窓の下に盛り塩と一緒に供えて

「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、
窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが
この半分を○○県の△川に流します、半分は、こちらに置いていきます。」

と、念じました。心配されていた、私の部屋では何も起こりませんでした。
が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。

聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。
明かりをつけると、ベッドの位置が、引きずった跡もなく、思い切りずれていました。
それから後、夜は何事もありませんでした……。

医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。
入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、
足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、
満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。

医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、
他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。
(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)

「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、
足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに尋ねてみたところ、
説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています。」と。

……下に降りる階段が見つからないのだそうです。今も。
他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、
その先が落盤している場所などを目にしました。
遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。

横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。
分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、
お供え物の一品としてタバコが置かれてあったんだって。

そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。
まぁ、まだ硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。

案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。そいつを起こして何があったか聞いたところ、
「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。
そしたらさ、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と
真っ青な顔で答えたとのこと。

戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。
異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。
嗜好品は唯一の慰めだね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

広告枠